『すまない、今日は引き返してもらえないか?』

 

ドアの向こうから、慌てたような彼の声が返ってきた。

 

ドアを開くと、彼は更に慌てていた。

 

『用事があるのか?

 

『いや、少し忙しくて…すまない』

 

そう言って、彼はふわりとした触れるだけのキスを私の唇へと落とした。

 

私はそれを更に引き寄せ、少し深めのキスをした。

 

彼は少し微笑み、ドアを閉めた。

『また明日』と、小さく呟いて。

 

彼の部屋から、ビターの香りがした。

唇には、甘ったるい味が残っている。

 

日付を思い出せば、今日は2月13日。

 

 

 

 

 

甘イ吐息

 

 

 

 

 

先程、彼から感じた甘い香り。

唇の、甘い味。

きっと、そのような物を食べていたのだろう。

 

 

 

それにしても、彼が私の誘いを断るだなんて。

以前には、そんなことはなかったのに。

 

気付けば、小さな溜息を零していた。

 

唇の感触が、消えない。

柔らかな、唇。

甘い。

ビターの香り。

 

甘い物など、暫く口にしていなかったな…

懐かしい、味だ。

 

 

 

ベッドに寝そべっても、今日は彼の体温がない。

静寂。

時計の音しか、響かない。

針が秒を刻む。

 

単身が12時を指している。

日付が、変わる。

 

カレンダーをめくると、日付は2月14日へと変わった。

 

カレンダーに印刷されている文字。

 

 

 

 ‘聖バレンタインデー’

 

 

 

あぁ、どうりで。

彼の部屋からビターの香りがしたわけだ。

 

 

 

『甘いな…』

 

 

 

そう呟き、部屋を出る。

 

彼の所まで、足を運ぶ。

 

明かりがまだ、ついている。

 

チャイムを押し、ドアノブに手をかけると、不用心なことにいとも簡単に開いた。

 

先程と同じく、

部屋にはいっぱいのビターの香り。

 

『ガルマ』

 

小さく呼ぶと、また慌てた様子で目の前に姿を見せる。

 

『シャア…だから今日は…』

 

『日付はもう変わっただろう?』

 

そう言うと、彼は気付かなかったのか、時計に目を向け、

少し驚いていた。

その姿に、私は笑った。

 

『君が“明日”と言ったのだろう?』

 

『ぁぅ…』

 

彼は私を見上げ、少し戸惑う。

 

『中へ入れてくれないか?』

 

『けど…散らかってるし…』

 

『構わないさ』

 

そう言い、強引に中へ上がると、彼は小さく声を漏らした。

 

散らかってなどいない。寧ろ、片付いている。

ただ、テーブルの上に小さな小箱が置いてあった。

四つ折りにした手紙も、添えて。

 

『シャア…』

 

『これは?』

 

クスッと笑うと、彼は白い肌をした頬を真っ赤に紅潮させて、俯いた。

 

『君に…』

 

今にも掠れそうな声。

 

『私に?』

 

『バレンタイン…だから…』

 

真っ赤な顔のまま見上げる彼は、何よりも愛しく映った。

小箱を手に取り、私の胸元に押しつける。

 

『美味しくはないかもしれないけど…味見はしたから…』

 

そう言って、また俯く。

そんな彼の姿は、とてつもなく愛しい。

彼の唇の味も、自ら作った菓子の味なのだ。

 

甘い、甘い、唇。

 

『ありがとう…ガルマ』

彼に笑みを見せ、身体を抱き寄せる。

すると彼は、胸元に顔を埋めてきた。

 

小箱を開け、彼の作った小さなチョコレートを口へと運ぶ。

口の中で溶かし、口に含んだまま彼に深く口付ける。

 

『んぅ…』

 

温かい彼の舌に、自ら舌とのチョコレートを絡ませる。

 

『ふ…っ』

 

唇を離すと、彼は力無く私に凭れ掛かる。

 

『甘い…』

 

彼を抱きしめたまま、ソファへ座る。

 

『愛してる』

 

彼の耳元で、甘い言葉を囁く。

 

『僕もだよ…』

 

そのまま、彼はゆっくりと瞼を閉じた。

 

 

 

『君はもっと甘い…』

 

眠っている彼に、呟く。

 

 

 

これからもずっと

私の隣には君が居ますように。

 

 

 

彼の手紙にも、同じ言葉が並んでいた。

 

 

 

 

 

 

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